6月1日:キネマ館~『野良猫ロック ワイルドジャンボ』

6月1日(火):キネマ館~『野良猫ロック ワイルドジャンボ』

 

『野良猫ロック ワイルド・ジャンボ』

 このブログでついに「野良猫ロック」シリーズを取り上げてしまうか。ただでさえマニアックなサイトなのにさらに拍車がかかってしまう。

 このシリーズ、和田アキ子さんが大暴れする一作目といい、安岡力也(ひょうきん族のホタテマンだ)がインパクトありすぎる三作目といい、ゆる~い感じのバイクチェイスがクライマックスの四作目といい、アバンギャルドといっていいのか突然に場面展開する五作目といい、どの作品にも良さがあるのだけれど、僕の一推しは二作目の『ワイルドジャンボ』だ。本作がシリーズ中一番のお気に入りだ。

 日活というとついロマンポルノを連想してしまうけれど、成人映画(古い言い方だ、つまり18禁映画)ばかりではない。青春映画なんかでもたくさんの作品を残しているのだ。本シリーズも青春映画の一環と言えなくもない。ただ、恋にスポーツにと青春を謳歌する若者たちとは無縁だ。

 本作に登場する若者たちは、ペリカンクラブなどと自分たちのグループを名付けているものの、これといった活動をしているわけでもなく、働いているのかどうかも定かではなく、目的もなく無為に日々を過ごす。退屈と倦怠が彼らの感情だ。しかし、エネルギーだけは有り余っていて、他の若者グループとケンカも絶えない。

 本作は6人の若者男女が、新興宗教のお布施を現金輸送途中で強奪しようと目論むというのが物語の骨子である。ただ、そのメインプロットが明らかになるまでが長い。何らかのプランが進行しているようであるけれど、観客にはそれが何であるか明確にならず、延々と彼らの無軌道な行動を見させられる。この鬱々とした気分、あるいは悶々とした気分は、彼ら若者たちの感情であるかもしれない。彼らが人生に確固とした目標を見出せない感情体験は、いつまでもメインプロットが示されない映画を延々と見させられる感情体験と通じるかもしれない。ここで僕たち観客は主人公たちと感情を共有しているのだ。本作を初めて見た時、僕はそんな印象を受けたのを覚えている。でも、物語の骨子が見えてくるまでは、正直、けっこう辛かった。

 彼らは綿密な計画をたて、トレーニングをし、実行に移す。結論を言えば、彼らの現金輸送強奪計画は不幸な結末を迎えるのだ。ほんのわずかな不測事態のため(白バイ警官が一人多かったというだけのため)に、計画が狂い、彼らは命を落としてしまう。そう、最後は全員が死んでしまうという暗い結末が待っているのだ。こういうのはアメリカン・ニューシネマの影響か。

 僕は基本的に、人の夢が叶うというサクセスストーリーやシンデレラストーリーは好きではない。近頃、オリンピックなんて嫌いだとか、スポーツは好かんなどと僕はブログで文句たらたら垂れているけれど、あれも小さいころからの夢がかなったなんて話をきかされるから嫌なのだ。昔からの夢を叶える人間なんて偉くもなんともねえんだな。その夢を断念しなければならなかった人たちの方がもっと偉いのだ。夢を断念して、そこから新たに生き直している人の物語こそ感動すると僕は信じているのだ。

 それはそれとして、本作は僕のそうした感覚に適合するのだ。何か大きなことをやり遂げようとして、それをやり遂げることなく人生を終えてしまう若者たちに僕は限りなく共感してしまうのだ。彼らは素晴らしいと思うのだ。

 

 あと、6人のキャラもいい。

 まず、タキからだ。「50,80よろこんで」でお馴染みの地井武男さんが演じている。地井武男さんにも若い時代があるのだ(当たり前だ)。キリっとしてて、カッコいいぞ。タキが強奪の計画者であり、リーダーであるのだが、ケンカを売られてもやり返さないとか、エネルギーは有り余っていてもそれを抑圧しているストイックさが感じられる。

 次に、ガニ新だ。藤竜也さんが演じている。こちらはタキとは正反対でエネルギーをどんどん表に出すキャラだ。ケンカを売られれば買うし、面白ければ笑うし、何か興味を惹くことがあると俺にやらせろと出てくるようなタイプだ。6人の中では一番アツイ男だ。

 ガニ新がアツイ男ならジローはクールだ。メンバーの中では地味っぽいけれど、リーダーがもっとも信頼を置くようなタイプかもしれない。これを夏夕介さんが演じる。

 そして、デポだ。陶酔的なまでの銃器マニアで、旧日本軍が埋めたとされる銃器を独りで掘り当てる。単独行動を取りたがるところがあるかもしれない。限りなく人格破綻者に近い雰囲気が醸し出されているのだけれど、グループの中には一人くらい変わり者がいたりするものだ。そういうキャラだ。これを前野霜一郎さんが演じる。

 次は女性陣だ。C子こと梶芽衣子さんがじつにいい。健康的な水着姿も拝めるぞ。『女囚さそり』ではおっぱいがポロリしていたけれど、あんなふうに見えてしまってはいけない。水着姿の方がいい。また、「C子の歌」で、ギターの弾き語りも拝める。梶芽衣子さんは、藤竜也さんとともに本シリーズすべてに出演している。本作のC子は、やや気が強く、少しやさぐれているようなところも感じられるのだけれど、それが不快に感じるほどではなく、実にいいバランスを保っているように僕は感じている。

 もう一人、アサ子を演じるのは范文雀さんだ。乗馬姿で登場する「謎のお嬢さま」(こういう設定が時代を感じさせる)で、正教学会の賽銭の話をタキに持ちかけたのも彼女である。彼女は正教学会の幹部の愛人だということであるが、新興宗教のいかがわしさが語られているようにも思う。ペリカンクラブのメンバーではないが、メンバーとともに行動するようになる。

 

 まあ、この若者たち、つるんではウダウダして、酒は飲み、煙草は喫い、かっぱえびせんを頬張る。そう、なぜか「かっぱえびせん」なのだ。しかも黄色い箱入りのやつだ。うーむ、時代を感じさせる。

 また、本作では和田アキ子さんが特別出演という扱いなんだけれど、前作の映像を使いまわしているだけという。マンダムの看板のチャールズ・ブロンソンは特別出演にはならないのね。

 あと、彼らがたむろする部屋にはステレオセットがあって、レコードジャケットが飾られている。アート・ブレイキーとセロニアス・モンクの共演盤だの、「ゲッツ/ジルベルト」だのが見える。ロック音楽ばかり聴くのかと思いきや、けっこう渋いのを聴いてるな。当時の若者はいい音楽を聴いていたんだなと改めて思ってしまう場面だ。

 哀愁のあるオープニングテーマも僕は好きだ。カントリーホンク調とでもいおうか、軽快であり、いい曲だ。でっかいことをやり遂げようとして、儚く散ってしまった若者たちの鎮魂曲だ。

 イカンイカン、好きな映画のこととなると延々と喋ってしまいそうだ。日本映画はあまり見ないんだけれど、本作は繰り返し見るに値する一作だ。見るべし。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

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